自遊通信 No.61(2014 新年)
発 行 自遊学校 文/河原木憲彦 絵/野口ちとせ
振り返ってみると、いつもそうだ。25年前、自遊学校を始めたときも、先のことは考えなかった。「結果」は選択の
糸が織りなすタペストリーで、どういう模様が描かれるかは誰にもわからない。
自分のタペストリーは自分で織ってもよかろう、と。
意外なことに、来校者の皆さんに支えられ、それは25年も続いた。そんなこと、当初、本人を含めて誰も予想しなかった。受け入れてくれた地元の人々も、初めのうち珍獣を見るかのようだったが、いまでは見慣れた風景の一部になり、さしてかまわなくなった。
東京の出版社を辞めて高知西端の過疎地に移住したとき、まだ日本は好景気で羽振りがよかった。
送別会のとき友人の一人は、高知に発つ間際の私にこう言った。
「まあがんばれ。うまくいかなかったら東京に戻って来ればいいさ。」
彼とは今も時々会う良き友人である。
それから四半世紀。その当時と比べて日本がこんなに不調になるとは。今から思うと、好景気に浮かれていたあの頃の方が異常だった。今でも十分日本は裕福なのだから。
こんな過疎地に長いこと居ると時間は大きな干潟を漂う水のよう。大きな波はなく細波が微かに泥を行き来する。それに馴染むと、天国とはここかと思うときも。しかし、そうはいかない。新たな試練が突然現れた。なんでか、選択の糸が絡まって、現代アートを展示する小ギャラリーをこの春から大阪で開くことに。ゴールデンウイークと夏は自遊学校、それ以外のシーズンは大阪にということに、当面はなりそうな。その先? 誰にもわからない。
初雪や短く白い息を吐く