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No.31 (2004 夏号)


発 行 自遊学校  文/河原木憲彦  絵/野口ちとせ 










夕食が終わって寛いでいるとき、お客さんが言った。「いい音ですね。ウチのオーディオよりよっぽどいい音がする。」そのときジャズかなんかのCDをかけていた。安物のラジカセで。この機械では 、たいした音を鳴らせるわけがない。
だが、どういうわけか、いい音に聞こえる。
たぶん、暗いからだろうと思う。ランプの灯りで聴くと、安物のラジカセでもいい音に聞こえる。以前から私もそう思っていた。光が乏しいと、そのぶん聴覚が鋭くなるようだ。暗いところでは、少しの物音でも敏感になる。機械の性能は上がらないけれど、人間の耳の性能が、暗いところではアップする。それでいい音に聞こえる、のだろう。
音は、しかし、明るさ以外の条件でも違って聞こえる。自遊学校では、夏期は校庭の食堂で食事をする。開け放たれた空間で聴くと、室内とは音が違って聞こえる。私の経験では、室内向きの音と戸外向きの音とあるようだ。室内より戸外の方が耳になじむ場合と、狭い空間で聴く方が落ち着く場合と。空間も音に関係している。

最近、感銘を受けたCDが2枚ある。偶然なことに、どちらも当時18歳の女性バイオリニスト。どちらもライブ録音で、同年(1990)の演奏。クラシックに私は疎いが、その方面のファンなら、よくご存じだろう。五嶋みどりの「カーネギーホールリサイタル」と諏訪内晶子の「チャイコフスキーコンクール1990」の2枚である。2枚とも、聴いたあとでタメ息が出た。 18歳? この演奏が?五嶋みどりの歯切れのよい伸びやかな演奏はく者をぐいぐい引っ張り込む力を持っている。テクニックは抜群。息をするのを忘れて聴きほれるほど。恐ろしい才能だ。諏訪内晶子は、繊細でしなやか。
さわやかな風のように響く。「北風と太陽」の寓話を思い出した。暖かい陽を浴びてマトを脱ぐ旅人のように、厚着をしている心が彼女の演奏を聴いて衣装を脱ぎ始める。白状すると、不覚にも、諏訪内晶子の演奏を聴いていて、私は涙してしまった。
CDを聴いて涙が出たのは3年前のジャンゴ・ラインハルト以来だ。トシとると、どうも涙もろくなっていけない・・・と、イスから立ち上がって窓を開けた。
梅雨の晴れ間の湿気を帯びた暖かい風が部屋を通り抜けた。
もうすぐ夏だ。バイオリンの音は広い空間で聴く方がよく聞こえる、と思った。


「音楽は、麻薬のようなものね」
ついこの前、そんな話をしていた。
言葉を巧みに扱う短歌の先生が言ったその言葉に、私は妙に深い意味を感じた。目に見えないものの不可思議は、いつも人をドキドキさせる。でも、『音』から受ける感触は、目に見えないものへの好奇心とはまるで違う。もっとはっきりとした実感で、その表情が伝わってくる。ある時は、目に見えるものよりはるかに直接的に、人を刺激する。ウ〜ン、それだから、『音・楽』は麻薬のようなもの、なんだなあ〜、・・・と解ったよう な、判らないような、分らない、夏の初めのお話。
Chitose 


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